マンチェスターで忍術の達人に出会う!

イギリスでも、武術はさかんで、特に空手をしている人はたくさんいます。それで、今までブログには載せなかったんですが、今回は、少し変わったものを見つけました。では、さっそくビデオをご覧ください。

忍術の哲学って、奥が深いんですねえ。感銘いたしました。デビッドさんに感謝です!

日本と北ウエールズの交換留学制度を見つけた!

マンチェスターから、車で50分ぐらい行ったら、ウエールズの北部に入るんですが、そのウエールズの一部の、フリントシャーというところで、なんと過去30年間も続いているという、日本と北ウエールズとの交換留学制度があるということを、ひょんなことから知りました。それで、日本の生徒たちが来た時に開かれたレセプションに出席させていただいて、みなさんにお話しを伺ってきました。
それでは、さっそくビデオをご覧ください。

このオプテックと言う会社はもうないんだそうですが、なんという素晴らしいことを始めてくれたんでしょう!!よく、企業がいかに利益を地域還元するか、と言う話を聞きますが、この企業がやったことはすごい!社長さんには先見の明があったんでしょうね。この企業の本拠地が、宮城県だったので、宮城県からの生徒がイギリスに来るんだそうです。

ウエールズの側では、残念ながらこのレセプションには欠席されましたが、べス ディトソンさんと言う方が、一生懸命この留学制度のことを取り仕切っておられて、トラストファンドがだんだん少なくなっていくなか、補助金の申請を地元の公共団体になさったりとか、いろいろと尽力なさっているそうです。
こういった皆さんの努力で、ずっと30年間も続いているんですね。頭が下がります。生徒たちにも、こういうことを踏まえて、精一杯いろんなことを学んでほしいと思います。

番外編:「世界の果てまで行ってQ!」の裏話?

こんにちは。今回は、ちょっといつもとは違った話です。

9月のある日、イタリアにある某プロダクションから連絡があり、10月某日に日本人のコメディアンがマンチェスター空港に着くので、迎えに行ってほしい、とのことでした。その日は幸い都合がつくし、面白そうだから、いいですよ、と返事をしました。よく内容も分からないのにOKした私でしたが、もっと詳しいことを教えてもらいました。それは、日本人の有名なコメディアンの、いとうあさこさんと言う人が、ここに行くことになっているから、空港で出迎えたら、ここまで連れてきてほしい、というものでした。その「ここ」というのには、メイルの中にリンクがはってあったんですが、なんと、地下の洞窟?マンチェスター空港から、車で1時間半ぐらい行った、北ウエールズの、国立公園内にある、洞窟で、中ではボートに乗ったり、あるいはロッククライミングができたり、という、冒険好きな人たちのための場所のようでした。北ウエールズには何回も行ったことがありましたが、この洞窟の事は、全く知りませんでした。そして、これは「行ってQ!」の撮影のためだと言う事。私は今まで「行ってQ!」は見たことがなかったので、最初は何の話か分かりませんでした。

とにかく、当日。「いとうあさこ様」と書いたプラカードを持って待っていたら、飛行機到着まもなく彼女が出てきました。テレビで見たとおりのお顔。まず車に乗る前に、駐車場で記念にパチリ!

着きました!

さて、出発。指定されたところは、洞窟から、洞窟近くのホテルに変わり、そのホテル目指して一直線。いとうさんは、日本から15時間以上のFlightで、お疲れなはずなのに、私といろいろとお話ししてくださいました。長旅の後なのに、肌もつやつや!感心しました。

無事に1時間半ほどで、ホテルに到着。なんと!このホテルは中世のお城そのもの!このホテルを選んだスタッフの気配りが心憎い。

ホテルに入っていく私たち


なんと入口には、鎧が!

コルウィン川と言う川のほとりで、何ともいえない風情のある岩の橋がかかっていました。その向こう側には、真っ赤に色づいた蔦におおわれた、岩でできた小屋。イギリスの田舎の典型って、こんなところを言うのかなあ。まるで、絵画のようでした。

わあ、きれい!!

朝の10時ごろチェックインしたいとうあさこさんは、休む暇もなく、午後1時にはスタッフが迎えに来て、洞窟で撮影をするということでした。「撮影」といっても、例によって、いろいろと大変なことをなさるわけですから、体力がいりますよね。いやあ、いとうさんのバイタリティーには脱帽です!

私はイギリスに住んでいるので、「行ってQ!」はテレビで見られないのが残念ですが、日本ではもうこの洞窟の話は放映されたんでしょうか?あの超人気番組の裏側には、こんな苦労もあるのでした。

マンチェスターで、日本の和尚さんから袈裟について学ぶ!

みなさん、袈裟って、ご存知ですよね?あのお坊さんが着ていらっしゃる。でも、私はそれ以外には全く何も知りませんでした。実際、日本人の方で、どのぐらいの方が、袈裟についてよくご存じでしょう。

それで、日本の和尚さんを呼んで、袈裟の作り方について勉強するんだ、と言う話をイギリス人の方から聞いたときは、本当にびっくりしました。彼らは、袈裟の事について学ぶために、わざわざその和尚さんを、自分たちのお金で日本から招くんです。なんと熱心な!

今回、私はその講演の通訳を頼まれた縁で、その和尚さんにお会いして、お話を伺うことができました。

それでは、ビデオをご覧ください。

(一言いっておきますが、この和尚さんは、典型的な和尚さんというより、どちらかというとはっきりと物を言われるので、どうかあまりこだわらずに、こんな意見もあるか、と軽くお聞きになってくださいね。)

イラン人の女性が作ったアマテラスのビデオを見よう!

あれは、2年ぐらい前だったでしょうか。一人のイラン人の女性が私にメイルをくれて、日本の民話や神話について聞きたい、というのです。それで会ってお話をしたんです。彼女がネットで見つけたという、民話のキャラクターの数々をみせてくれたんですが、ほとんどが、「何これ?」というような、わけのわからないしろもので、びっくりしました。それで、私は古事記とか、もっとちゃんとしたのを勉強してください、と言って、アマテラスの話とか、いろいろと教えてあげたんです。彼女は、ストップモーションアニメを作りたいんだと言っていましたが、あの様子では、まあ無理なんじゃない、なんて思って、そのまま忘れてしまっていました。

ところが、8か月ぐらい前でしょうか、また彼女から連絡があって、ビデオができたから見てほしい、というんです!それで、見せてもらったら、けっこうよくできていて、それを少し編集して、出来上がったのがこのビデオです。

いかがでしたか?日本人としては、あのたぬきはちょっといただけない、と思ってしまいましたが、我々の先入観を超えて見ると、結構おもしろいですよね。それにあのアマテラスこそ、うっそー!と言う感じでしたが、これも新しい感覚で、面白いと思いました。

後日、あのビデオとか、その他について、彼女にインタビューしてみましたので、聞いてください。

イランの文化(ペルシャ文化)と日本の文化に、そんな相似点があったなんて、びっくりですね。今回は勉強になりました。

徳川慶喜の駕籠をマンチェスターで見つけた!!

今回は、マンチェスター都心部にある、マンチェスター美術館に行ってきました。
さっそくビデオをご覧ください。

そうなんです!なんと徳川慶喜の駕籠が展示してあったんです。私はあんなりっぱな駕籠を、あんなに間近で見たことがなかったので、感激してしまいましたが、どうやらそれが徳川慶喜の駕籠らしいのでもっとびっくりしました。でも、実は、美術館では、そのように展示されていなかったんです。この話は、私の知り合いの、スティーブ スミスさんに教えていただいたんです。

スティーブさんは、以前私のブログにも出ていただきましたが、イギリスでの最初の日本領事であるジェームス ロード バウズについて長年研究されていた方です。ジェームスが亡くなった後、彼の膨大な日本の工芸品のコレクションは、オークションで散り散りに売り飛ばされてしまい、どこにあるのかわからなくなってしまっている物が多いそうです。スティーブさんは、そのコレクションの中に、駕籠が含まれていることを、そのオークションの目録からご存知だったそうです。そして、あの駕籠を見た時、あの駕籠が、なんとオークションの目録に記録されているのとまったく同じだ!と言う事に気が付いて、びっくりされたそうです。

それで、あわててマンチェスター美術館に、いつ、どうやってあの駕籠を手に入れたのかを問い合わせてみると、あの駕籠は1901年(ジェームスが亡くなって、オークションが行われた年!)に当時のマンチェスターの市議が、美術館に寄付したそうです。その市議が、どうもオークションで購入したようなのです。

どうしてこれが徳川慶喜の駕籠だとわかるかって?それは、オークションの時の目録に「これは最後の将軍の持ち物だった」と書いてあるからです。ところが、「最後の将軍」の名前が、慶喜でなくて、「のりよし」になっている。「のりよし」という将軍は存在しないので、これはイギリス人の間違いだとしか思えない。その上、マンチェスター美術館の、この駕籠の購入目録にも、同じく「最後の将軍、徳川のりよしの持ち物」と書いてあるんです!ですから、これは、ジェームスのオークションの目録からそのまま写されたとしか思えないわけです。

いくら最後の将軍といえども、その持ち物の駕籠が、遠くイギリスにまで売られていた、と言うのは何とも寂しい気がしますね。でも、全く同時代の、篤姫の駕籠も、ニューヨークのスミソニアン博物館にあるそうですから、幕末の混乱と言うのはそれほどひどかった、ということでしょうか。

この駕籠が、(たぶん明治の初めに)はるばるマンチェスターまでやってきて、そして、今まで誰の駕籠なのかわからずにほおっておかれた、ということ、そしてそれが今年になってようやく私の知人によって「発見」されたこと、そしてその知人は、ジェームスの研究をしていたその本人だったということ……そんなマンチェスターに私が今住んでいると言う事も含めて、本当に不思議な気持ちに包まれた出来事でした。