イギリス人初の日本領事は、リバプールから!

リバプールといえば、たいていの皆さんはビートルズの出身地ということでご存知だと思いますが(と、いうより、それ以外の事では聞いたことがない!と言う方が本当でしょうか)、リバプールは、マンチェスターから、車で1時間ぐらい西に行ったところにあります。19世紀までは、貿易でものすごく栄えて、たくさんの大金持ちを生んだところですが、今はどちらかと言うとさびれています。

今回の「日本探検」は、そのリバプールにある、アデルフィホテルから始まります。どうしてこのホテルが特別かと言うと、なんと、あの岩倉具視率いる欧州使節団が、アメリカを訪れた後、大西洋を横切って、まずヨーロッパに足を踏み入れたのが、このリバプール、そして、このアデルフィホテルで、歓迎会が催されたからです!歴史で習いましたよね。1872年の事でした。残念ながら、当時のホテルの建物自体はもうないんですが、その後2回再建されて、今でもれっきとしたホテルとして営業しています。私はそのホテルに入った時、さすがに感激してしまいました!

さて、今回は少し趣向を変えて、リバプールで、イギリス人で初めて日本領事になった、ジェームス ロード バウズと言う人の足跡をたどってみることにしました。イギリス人初の日本領事が、地元(まあ、1時間は離れていますが)の出身だったと言う事は大感激です。それでは、ビデオをどうぞ。

彼は、貿易で大成功して一挙に大金持ちになったんですが、日本美術に興味を持つようになって、日本の美術品を買いあさり、その膨大なコレクションで、ヨーロッパ初の日本美術館を作った人でもあるんです。当時は、日本において封建制度が終わりを告げ、明治維新が始まった大混乱の時。今までの価値が失われ、日本の貴重な芸術品が、どんどん海外に流出してしまった時期です。ですから、コレクションを増やすのは、それほど難しくなかったろうとは思いますが。当時は、一般の人は、日本の事などまず聞いたこともなかった。でも、彼が、ほぼただ同然の安い入場料で、美術館を一般に開放したおかげで、何万と言う人が日本の最高級の美術品に触れる機会を持つことができたんです。そして、そんな美術品に感心しながら、果たしてこんなに美しいものを作ることができ、使っている人たちと言うのはどんな人たちなんだろう、と遠い日本と日本人に思いを馳せたことでしょう。彼らが初めて接した「日本」というものが、これらの美術品で象徴されていた、と言う事は、本当に幸運なことでした。きっと誰もが、日本と言う国、そして日本人に対して、憧れと畏怖の念を持ってくれたに違いありません。

ただ、残念なことに、彼が亡くなった後、その膨大なコレクションを、誰も引き取ろうとしてくれなかったんです。彼の妻は、そのコレクションを、細切れにしてしまうことなしに、その美術館ごと買い取ってくれるところを探したらしいんですが、誰一人買い手がつかず、結局、すべての美術品が、一品ずつ別々に、オークションにかけられて二束三文で売られてしまったということです。それで彼のコレクションは、世界中にバラバラになってしまったわけです。彼には息子も娘もいたのに、どうして誰もその美術館の後を継ごうとしなかったんでしょうか。とても仲のいい家族だった、と言う話でしたが、それでも、彼の日本芸術に対する情熱を分かち合える人は、家族の中にすらいなかった、ということではないでしょうか。

彼のお墓に行くと、日本とは違って墓地が荒廃しているのにびっくりしました。おまけに、よりによって、彼のお墓の上に、スプレーでいたずら書きがされているのを見ると、本当に心が痛みました。私とスミスさんが彼の家族のお墓の横に立った時、文字通りどこからともなく大きくて美しい蝶々が飛んできて、私の手にとまったんです!そんなことは私にとって、生まれて初めての事だったので、思わず興奮して声をあげてしまいましたが、もし私が息をひそめてじっとしていたら、もっとずっととまっていてくれたかもしれなかった。スミスさんが言ったように、あれはきっと、ジェームス ロード バウズの霊だったと思うのです。忘れられていた彼と、彼の日本文化を理解、普及させるための努力に、光をもう一度あててくれて有難う、と、彼が言ってくれたんだと思っています。

Leave a Reply

Your email address will not be published. Required fields are marked *

*

HTML tags are not allowed.